クローズアップ藝大では、国谷裕子理事による教授たちへのインタビューを通じ、藝大をより深く掘り下げていきます。東京藝大の唯一無二を知り、読者とともに様々にそれぞれに思いを巡らすジャーナリズム。月に一回のペースでお届けします。
>> 過去の「クローズアップ藝大」
>> 「クローズアップ藝大」が本になりました
第十八回は、音楽学部教授で音楽学部附属音楽高等学校校長の山下薫子先生です。専門は、音楽の指導法や音楽学習の意義について研究する音楽教育学。音楽が人間の身体や精神に影響を与えるメカニズムなどについて日々探求しています。2022年6月、附属高校にてお話を伺いました。
【はじめに】
東京藝大の音楽学部附属音楽高等学校の校舎は、音楽学部4号館の建物の中を抜けたすぐ後ろに、ひっそりと佇んでいます。生徒数は一学年40人、入学時からピアノ、ヴァイオリン、管楽器や邦楽器など専修が決まっていて、生徒たちは「クローズアップ藝大」にも登場していただいたフルートの高木綾子先生やピアノの江口玲先生など藝大の先生方から実技を学んでいます。普通の高校と同じような学科もカリキュラムに組み込まれていますが、当然のことながら音楽の授業と実技の時間が多く、生徒たちはソロだけでなくアンサンブルやオーケストラ、ソルフェージュの授業も受けています。
ピアノを専攻していた山下先生はどのようにして音楽教育の道へと進んだのか。対談では、優れた音楽家を育成する上で求められる技術の習得と音楽家の個性をいかに育てていくのかに多くの時間が流れました。
国谷
山下先生は藝大のご出身で、音楽学部ではピアノを専攻されていました。大学院で音楽教育に携わり、それからはずっと音楽教育一筋なのでしょうか?
山下
大学院の音楽教育は演奏などの実技と教育に関する論文の二本立てになっている専攻なので、ピアノのレッスンは大学院まで受けて、並行して音楽教育の論文を書いていました。
国谷
演奏家ではなく教育者の道を選ばれたきっかけは何ですか?
山下
きっかけはいろいろとあったのですが、今考えると学部生のときに経験した教育実習が大きかった気がします。教職を履修した当初、「どうしても教師になりたい!」というほどのモチベーションはなかったのですが、“教える”ということがどれだけ自分の勉強になるか、教育実習で体感しました。演奏の世界では、よく「100回の練習より1回の本番」と言われるのですが、それをもじれば「100回の勉強より1回の指導」のような感じでしょうか。
自分の中でモヤモヤっとしていることは教えられませんし言語化できません。生徒が何に躓いているのかわからないと、どう指導していいかわからない。教えるということは、自分の知識とか、それまで経験してきたことをフル稼働させないといけない。それが面白いと思ったので、音楽教育について勉強してみたいなと思いました。
国谷
教育実習では具体的にどんな授業をされたのですか?
山下
母校の中学校で教育実習をさせていただいたのですが、指導教諭からあらかじめ授業内容を知らされていたわけではなくて、実習が始まってから、「一時間の授業の中でバロックから現代までの音楽史を演奏も交えて教えてください」という無茶振りをされました。「一時間でですか?!」って(笑)。絶対的に時間が足りないし、練習していない曲を演奏しなければいけない。でも、できることを瞬時に考えて、2、3日の準備で実習に挑みました。大変でしたけれど、生徒たちの反応が嬉しいものでしたし、自分がそれまで学んできたことを振り返る、よい機会になったと思います
国谷
その実習の後で音楽教育の道に進もうと思ったのですか?
山下
学部を卒業してから声楽科の伴奏助手を務めていました。その後の進路を決めるときに音楽教育の道を選びました。
音楽教育の世界に入って、新しい視点を得て、それまでのいろいろな体験がつながったという感覚がありました。長いこと潜水をしていて、ポッと浮き出たような感じです。元々怠惰な人間なので、ピアノだけを続けていたら、自分の感性や体験を論理的に考え直すことなどなかったと思いますし、こんなにも活動の幅が広がることはなかったかもしれません。
国谷
藝大ではどういう音楽教育者を育てようとしているのでしょうか?
山下
演奏活動の片手間にではなく、教えること自体を面白がれる人が増えるといいなと思っています。その昔、東京音楽学校初代校長の伊澤修二先生が「ここは教育者を育てる場でもあるのにみんな演奏ばかりしたがる」というようなことを書かれていました。演奏に心惹かれるのは当然とも言えますが、演奏も教育も音楽の本質を伝えるという点では同じだということに気付いてほしい。
最近は卒業後に学校教育に携わる人が増えていますので、とてもうれしいです。私のように、指導という場で新しい自分に出会ってほしいなと思います。
国谷
私は音楽について素人なのですが、音楽教育といっても、音楽家を育てる専門的な教育と、学校で音楽の授業を担当する音楽教育の2つがあると思います。先生はどちらに興味をもたれたのですか?
山下
研究テーマを決めるに当たっては、専門教育か学校教育かという区別はなく、幼稚園と小学校でリトミック*を経験していたので、これをテーマにできないかなと思い付きました。リトミックは遊びのような活動ですが、振り返って考えると、音楽表現を生き生きとさせる活動だったのです。音楽の知識や技能を教え込むのではなくて、活動から自分が何かを吸収して生み出すという、そこに面白みを感じてリトミックをテーマにしようと考えました。
最初はリトミックを応用したピアノ指導法の開発に取り組むつもりだったのですが、リトミックの創始者であるジャック=ダルクローズが「内的聴感」という、頭の中で音楽を鳴らす能力の重要性を説いていたので、この育成のプロセスを明らかにしたいと考えて、そちらの研究を始めました。その後、学校教育の研究にも取り組むようになったときに、これは専門教育と学校教育どちらにも必要な能力だと思いました。
*リトミック…スイスの音楽教育家、作曲家のエミール?ジャック=ダルクローズ(1865-1950)によって創案された音楽教育の方法論。リズム運動、ソルフェージュ、即興演奏の3つの要素で構成される。音楽に合わせて体を動かしながら聴覚やリズム感覚を育み、自分のイメージを音や音楽、動きで表現するなどの活動がある。 |
国谷
頭の中で音楽を鳴らすって、面白いですね。
山下
そうですね。ただ、「内的聴感」というのは音楽を精神的な耳、つまり心の耳で聴くということなので、いくら頭の中で音を鳴らしても他の人からは何をしているのかわからない。研究を始めてさっそく壁にぶつかったというか、研究テーマとしてなかなか難しいなと思いました。
国谷
そうですよね。楽器なら音が出るから、楽譜をちゃんと読んで音を鳴らしているかどうかわかりますけれど。
山下
そうなんです。
頭の中で音楽を鳴らすというのは、心の中で鼻歌を歌うように、無音の状態で行うこともできますし、演奏中ならば、これから演奏する部分をぎゅっと凝縮した感じで予期して、それに導かれるように身体(演奏)がついて行く、そういうイメージです。それがうまくいくと音楽に乗っていけるというか、弾いているのを忘れて、ただ音楽に浸っているというような感覚になります
国谷
その高揚感というか、すてきな感覚でしょうね。それはご自身の体験ですか?
山下
はい。頭の中の音楽と実際の演奏がうまく連動しているときは気持ちがいいです。
頭の中で音を鳴らすといっても、単音を鳴らすわけではなく、リズムに乗って音が立体的に響きます。音も高さとか長さだけではなくて質感をもっています。そうすると、リズムの躍動感を伴って、身体化されたものが解放されるのですね。よく「音楽は心の教育だ」と言われるのですが、私は身体の教育でもあると思っています。それは指がより速く動くようになるというようなことではなくて、身体的な感覚の錬磨と、身体化した知識や技能の獲得という意味においてです。
国谷
感覚の教育の部分が先にあって、そこに知識や技能を付け加えていく感じですね。
山下
身体の感覚は感性に直結していますし、知性の基礎にもなるものです。精神と身体は本来、分けられるものではなくて、一体化している状態が理想だと思います。
国谷
子どもだけでなくすべての世代がリトミックをやってみるといいでしょうね。
山下
リトミックの本場のジュネーブを視察したときは、「婦人のリトミック」というクラスもありましたし、小さい子どもから高齢者まであらゆる人が行っていました。
ジュネーブのリトミック(1993年)