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国谷
世界はどんどん変わってきているし、アートとか文化の位置づけも変わってきていますが、これまで書かれた著作などを拝見すると毛利先生は一貫して、アートと文化が持っている可能性にとても期待されていると感じます。中でも文化と社会変革の関わりに強い関心を寄せているのは、先生のどういう思いがあるのでしょう。
毛利
背景は、自分のキャリアとも関係していると思います。京都大学に通っていたのは80年代前半でした。でも、京都大学は(絶滅した生物が残っている)「ガラパゴス」と言われて、昔の学生運動の名残がギリギリあったんですね。一方で、才能は全くなかったけれども、自分でバンドをやってみたり創作活動にも興味がありました。けれども、その政治とポップカルチャーが自分の中で一致しなかったんですよ。政治運動をやっている人たちは政治にしか興味がなくて、バンドやっている人たちも音楽にしか関心がないみたいなタイプだと思っていた。
でも2000年ぐらいになって、あらためて昔の友人とか同世代で近い仕事をしている人たちと会ったら、みんな僕みたいな感じなんですよ。政治にも、音楽とか現代美術にも、現代思想とか哲学とか社会学にも興味がある。そんな僕みたいな人がこの世代には実は結構いたんだというのを事後的に発見する。それが最初に出版した本『文化=政治」を書いたモチベーションだったし、自分探しと言ったらアレですけど、自分をどう位置づけるかみたいなことなんです。
「不和のアート:芸術と民主主義 vol. 2」(2024年6月14日~16日)ポスター
今度陳列館で、「不和のアート」というアートと民主主義、政治をテーマにした展覧会を僕の研究室と清水知子先生の研究室の合同で学生たちと企画しているんですけれども、この時世なので当然パレスチナ関連の展示が多い。パレスチナ問題というのは、1970年代の日本赤軍事件などもあって、ある世代までは今でもテロとか過激派とかと結びつけてしまっている。でも、今のパレスチナ支援の運動に実際に参加している人は、そういう昔の中東に関わる過激派に対する意識とか、テロリズムに対する記憶がほとんどないんです。参加者も、いわゆる「左翼」活動家ではなく、外国人と20代から30代くらいのアーティストが多い。だから、市民運動ですらないんですよね。
上野の国立西洋美術館でも先日、アーティストによる抗議運動がありました。おそらく彼女たちは、上の世代の左翼運動とはほとんど接点もないし、マルクスも読んでないと思う。別に読んでなくてもいいんです。でも、そういう人たちが今のパレスチナの問題について何かしたいと思って抗議運動をやる。上の世代から見ると、最近の若いアーティストがなぜこんなに政治的になっているのかわからないと言われます。はっきりと世代的な断絶が生まれているようです。その理由のひとつはグローバル化だと思います。やっぱり海外でアーティストとして活動している人が増えてきている。それから留学生たち。彼ら、彼女たちは母国での状況を受けて日本でも行動を起こしているようです。もちろん運動としては海外に比べて非常に小さいかもしれません。でも、そういう人が中心になってこれからの藝大や日本の社会をつくっていくのではないでしょうか。
もちろん、僕の見方がかなり偏っているような気がしなくもないけれども、こういった動きについてもう少し伝えていきたいし、面白い動きだと思っています。
国谷
欧米では政治とアートと文化が綿々とつながっていて、例えばポピュラー音楽の分野でもテイラー?スウィフトさんがアメリカ大統領選挙についてどのようなコメントをするか、非常に注目されています。一方で日本の場合は文化?芸術と政治はつながってはいけないような、政治的な発言はタブーだというような空気があります。
日本でフォークソングが一世を風靡した60年代は、政治的なメッセージも込められていましたが、それ以降はずっと音楽の世界では政治的な要素は希薄に思えます。なぜ日本は欧米と違って、60年代のトレンドが継続しなかったのでしょうか。
毛利
これはいろいろな理由があると思うんですが、やはりメディアの問題が大きかったのではないでしょうか。新聞とかテレビが積極的にきちんと取り上げようとしなかった。新聞に関して言うと、1960年代末の学生運動のときのダメージが大きい。最初は肯定的にとらえていたのに、ある時期からはっきりと新聞は、テレビと一緒に学生の政治運動を鎮静化する方向へと動いてしまった。さらに、連合赤軍などの事件をきっかけにあらゆる若者たちの政治運動を安易に過激派に結びつけてしまった。今から見ると学生運動も多様で、全部が全部そうではなかったと思います。いろいろな運動があったのにメディアの中でちゃんと扱われず、政治的なことに関わると結局人生において得をしないみたいなイメージが広められた。マスメディアのある種のシニシズムみたいなものが若者を政治から遠ざけたと思います。この構図は今でも変わってませんよね。
実は日本は法律的にも問題がたくさんあって、デモで逮捕されると拘束期間が長く、社会的な制裁や経済的なダメージが大きいとか、いろいろな規制があってデモにも参加しにくい仕組みになっています。欧米に比べても、日常的に人々が政治に関わることができない制度になっていると思います。
国谷
毛利先生が20年以上前にお書きになった著書の、アメリカのイラク攻撃のテレビニュースを日本の視聴者がどう受けとめてきたかという論考の中で、政治的なものが日常生活や会話の中から知らず知らずのうちに排斥されていると書かれていました。それが最終的には政治に対する無力感とも結びついていると。
私も環境の問題とかSDGsの啓発活動をしていますが、やはりなかなか広がっていかないと感じています。日本の若者は世界の若者に比べて、そういったことを話題にしない人の割合が非常に高い。意識高い系だと見なされて排斥されるとか、嫌われてしまうんじゃないかという恐れから、話題にもしない。話題にしないから関心も広がらない、そういう悪循環に陥っています。
20年前と何も変わっていないのかなと思いますが、その一方で、先ほどおっしゃったように、最近は変わってきていると。
毛利
ゆっくりですけれども変わってきていると思います。もうちょっと長いスパンで言うと、僕は80年代に学生時代を過ごしバブルの時代に広告代理店に入った。その頃は政治のことをしゃべる機会もなかったし、しゃべるとみんなに引かれるという経験を実際にしたわけです。
政治的なものが一切消えてしまった消費社会の80年代から比べると、40年以上経って随分変わったなと思っています。「若い人は政治に興味がない」というステレオタイプなレッテルは今でもずっと貼られ続けていますが、実際に見ていると自分の若い頃よりは若者たちは政治について話しているし、デモにも参加するし、特に大学院の授業でパレスチナ問題を扱うと本気で怒りや憤りを表明する学生も少なくありません。「日本ってこんな感じだったっけ?」と思うぐらい変わってきている実感があります。これも藝大だからとか、さっき言ったように就活しないような学生だからというのはあるかもしれない。
もちろん、全く政治に興味のない学生もいます。そこは二極化している。若い人はすごく多様だから、日本の若者とひとくくりに言えなくなっています。同調圧力は依然として強いし、例えば入社式に全員が同じような紺かグレーのリクルートスーツを着て行くような傾向は、ますます強くなっているとも言える。けれども、少なくとも藝大では誰も同じ服なんか着て来ないですよね。だから、過剰に若者を一般化せずに、どこをどう見るかだと思いますけれども、できるだけ肯定的に可能性の方をピックアップしたいというのはあります。
国谷
毛利先生が書かれてきた著作にもそういう期待感がたびたび出ています。
毛利
若い人に期待せず、「昔がよかった」みたいなことを言うのが一番よくない。団塊の世代のように「我々は昔学生運動で頑張った」とか言うから下の世代が萎縮するのだと思う。僕は今ある面白いものを探したいんです。
例えばフリーターが出てきた90年代終わりから2000年頃、当時は「フリーターみたいな生活は若いからできるんだ」と言われていたけれど、20年、30年経ってみたら、50代になっても20代と同じことをやっている人もいる。むしろここまで20年生き延びた世代は、これからもずっと同じことをやるでしょうね。フリーターを可能にしているこういう流動的な社会というのは、過酷な資本主義だし苦しいんだけれども、逆に言うと、そういう過酷な中でも生活ができるような社会をつくってきたんですよね。
国谷
確かにそうですね。
毛利
フリーターが全て不幸かというと、企業で働き過ぎて壊れてしまう人たちよりは、なんか楽しそうだったりもする。もちろん企業も楽しいかもしれない。わからないけれども、でも価値観がすごく多様化してきています。多様な価値観が広がっていることを考えると、さっき言った20年前よりもよくなっている。フリーターは確かに裕福ではないし、負け組に見えるかもしれないけれども、ある意味では豊かな生活をする人々が増えているともいえる。最近だとコロナ禍もあって、地方に移住したり、ますます違うライフスタイルが出てきて、決して全てが悪くはなっていない。もちろん局地的に見ると、都市の若者の生活は厳しくなっているけれど、同時に違うオプションもある。むしろそういうオルタナティブな生き方があることを、むしろ企業や資本家の側はどうも知らせないようにしているんじゃないかと感じます。人材として企業に回収していかないと明らかに労働力も足りないし。でも、企業に回収されなくても生きていく方法はある。
「藝大を出ても食べられないよ」みたいなことがしばしば言われます。実際にアートだけで食べられていない人は少なくないと思いますが、藝大の横のつながりとか、アーティストのネットワークでいろいろな生き方を発見している人も多いと思います。社会としてそこをちょっと支援してあげるような仕組みとか、あるいは藝大としても、アーティストして活動を続ける人に対して、複数の仕事をこなすフリーターやフリーランス、非正規労働者でも、もう少しお金につながる、安定したものになるような仕組みを作ることができると、新しい経済ができるんじゃないかと。ちょっと妄想も含めてそう思います。
国谷
2003年にイラク戦争に対する反戦運動が起き、東京でも多くの若者がデモに参加しました。毛利先生は「2003年の運動にかかわったことのある世代は、あえて悪い表現を使えば味をしめている。一つがなくなっても、あたかもモグラたたきのように、他の場所で全く別の形式を生み出して、そういう政治運動があらわれるだろう」と書かれています。そういう政治運動は本当にあらわれているのでしょうか。
毛利
一番最近の例でいうと、横浜トリエンナーレ(2024年3月15日~6月9日)はアジアのアクティビストたちを中心に紹介しているんですけど、僕が2007年に出した『ストリートの思想』という本に書いた人たちがやってきたこと、やっていることが展示されています。「素人の乱」という高円寺のリサイクルショップなどを経営しているDIY(Do it Yourself)経済のアクティヴィストたちのグループが中心的な位置を占めている。
彼らも若い時は、「こんなバカなことやってたら年を取ったときに痛い目に会う」みたいな、上からの冷ややかな視線があったんですが、20年経つと展覧会で特集されるぐらいになったんですね。
アジアの中でも日本というのはそういうDIY、オルタナティヴな自主経済みたいなものの先進国なんです。香港とか中国は政治的な状況が過酷なので続かないんですよね。「素人の乱」の人たちは20年もやっているパイオニアなので、アジア中の人たちがその活動を知っているんですよ。松本哉さんという人が中心で、彼の本は中国でも翻訳されています。今、アジアの活動家というか思想家で読まれているのは、柄谷行人さんという非常に有名な哲学者と、この松本哉さんの2人だという。冗談みたいだけど、まんざら冗談でもないような影響力がある。
日本は中国に比べるとまだ隙間が多い社会だし、東アジアは政治的に厳しい状況なので、日本はそういうオルタナティブ?ライフを模索する人のための先進国になっています。
国谷
その『ストリートの思想』の中で、イデオロギー的なもの、批判的なものが機能しなくなった中で、面白いかどうかが一つの基軸になり、人は正しくて面白くない世界よりも、少々正しくなくても面白い方がいいと、そして結果として面白いことが起きる場はストリートだとお書きになっていました。松本哉さんたちがストリートで行っていたようなことが、アートの世界でも認められるようになってきて、それが何か一つの思想のように受け止められているのでしょうか。
毛利
それなりに認知される運動になったのだと思います。もちろん、面白いことの方がいいというのは、一方でトランプ主義みたいなものも生むわけですから、必ずしもいいことではないんですけれども。
国谷
何かを変えようと思うと、メインストリームのメディアの文化よりも、もっとストリート的な、物事をオーガナイズする力とかプロデュースする力の方がパワーを持つというふうに、毛利先生はおっしゃっています。
毛利
ボトムアップ型、草の根的というか、手の届く範囲で。大きな政治を変えるのはなかなか大変だけど、自分の周りぐらいだったら多少変えられると思うんですよね。身近な問題については、市民運動とか社会運動が重要な役割を果たすようになってきている。自分の周りが全部変わってしまえば、あとは国政が多少だめでも何とかなる。ケアとか互助みたいなことと結びついていると思うんですけれども、僕はそっちに関心があるし、自分自身の思想もそちらをベースにしたい。
昔の伝統的なマルクス主義だと国家を変えなきゃいけないとか、やはりどうしても大きな議論になっていく。でも高円寺の運動を見ていると、杉並区の区長が変わったりとか、そういうレベルで変わっているんですよね。
国谷
アートや文化的な思考を持った人たちの方が、人を動かすことができるのかもしれません。
毛利
この20年でアートの役割がシフトしてきたと思います。アーティストはもちろん絵を描くし、彫刻も作るし、インスタレーションもします。それと同時にコミュニティや制度をつくったり、場合によっては学校とか病院をつくったりもする。そういう活動は2000年ぐらいから社会的アートあるいはソーシャリーエンゲイジドアート(Socially Engaged Art, SEA)と言われています。
例えば東京ビエンナーレみたいなアート?プロジェクトがありますよね。アーティストのプロデュース力やクリエイティヴ力を使って、コミュニティを形成したり、オルタナティブスペースを運営したり、街の風景を変えたりする。
そういうこととさっき言った市民運動や社会運動がもっと結びつけばいいと思う。松本さんたちはアーティストなのかわからないけど、海外の人からは、リサイクルショップやライブハウスをつくり、人が住めるところを作る、そういう“アート”として受け止められているのではないかと思います。
多分この傾向は進むと思うし、それでいいと思います。生活をどう変えるかをデザインするようなアーティストが藝大から出るといいですね。
国谷
藝大での教育の新しい動きも楽しみになります。
毛利
中村政人先生(美術学部絵画科教授)や熊倉純子先生(大学院国際創造研究科教授)もそういうアート?プロジェクトを実際に動かしていますよね。アート?プロジェクトって、古典的な美術しか知らない人から見ると、一体何をやっているんだろうと思われるかもしれない。古い建物を改装して展覧会をやったり、街中に出ていってワークショップやディスカッションをしている。必ずしも、古い形式の展覧会をやりたいわけではないんです。もちろん展覧会をやってもいいんですけれども、そうではなくて、地元の人と協力してイベントをやったりすることを通して、コミュニティをつくろうとしているわけです。それは昔流の政治運動とは随分違うし、アートとも違う。どっちでもないようなものだと思います。
国谷
小泉文夫さんのお話から、アートの新しいあり方というところに来てしまいました。
毛利
だけど、アジアのアートって、西洋の芸術と違ってそもそもそういう感じで発達してきているんです。2023年、インドネシアのルアンルパというアートコレクティブが、ドイツの「ドクメンタ」という国際美術展で芸術監督を務めました。彼らがやってきたのは要するに共同体が日常的にやっていること。学校をつくったり、ご飯をつくったりとか、そういうものをドクメンタに持ち込もうとしたんですよね。
彼らのキャッチコピーは「アートじゃなくて、友達をつくろう NO ART MAKE FRIENDS」というもので、10組のアーティストコレクティブを選んで、それぞれ10組ずつ好きな友達を連れて来るように言ったから、出展者がドクメンタ史上最大の人数になって。それでほとんどみんな作品らしい作品をつくらなくて、集まって話をしたり、ワークショップやったり、コミュニティをつくるみたいなことをやって。全然アートじゃないって、ドイツではあまり評判がよくなかったんですけどね(笑)。また展覧会が始まって、「反ユダヤ主義」というスキャンダルに巻き込まれて、展覧会の本来の意義があまり理解されなかったのも残念でした。
でも、ドクメンタのような世界で最も大きな展覧会が、西洋中心の美術とは全然違う美術のあり方を示したことは大きな変化でした。社会の中でどういうふうにアートが使われているかということに対して、西洋の人には新しいものだったろうし、インドネシアから行ったアーティストたちも、そういう世界が自分たちの現実だと感じたでしょう。僕もすごく刺激を受けたし、日本でも同じようなことがあると思って見ていたんです。
国谷
ここにある民族楽器とか世界の音楽が示しているように、共同体の中で自分のアイデンティティを示したり、コミュニティをつくったり、結束を強くする上でも音楽が重要な役割を果たす。
毛利
共同体の中にはもちろん音楽の専門家もいるしプロもいるんですけれども、普通の人たちもいて、彼らが参加できる余地をつくっている。同時にそこでの生活もあるし、いろいろなものがあるというのは、やはり西洋の音楽とは全然違う。
小泉先生は、西洋の音楽なんて一番堕落している、あんな複雑で難しい和声を使うのは遅れた音楽だと、音楽は進化するにつれてどんどんシンプルになっていくんだと言っていました。かなり極端ですけど(笑)。
彼は音楽がどういう社会をつくるかということにすごく興味があったんですよね。社会が音楽をつくるのではなくて、音楽が社会を形成していると。これは小泉先生から直接聞いたわけではなく、植村幸生先生(音楽学部楽理科教授)の受け売りなんですけれども。なんとなく我々は、共同体が音楽をつくると思ってますが、そうではなくて、共同体とかコミュニティのモデルとしての音楽がある。音楽を一緒に演奏することが人間関係をつくり、それが社会をつくっていく。それは藝大とかアーティストの活動が、経済や社会に対して違うモデルを提示するということです。その社会って、ひょっとするとすごく楽しい可能性がありますよね。
【対談後記】
毛利先生の話に耳を傾けながらクリエイティヴの力が担う役割が今まさに大きく広がってきたことを改めて印象付けられました。身近な問題に対して、市民社会を巻き込んだムーブメントをおこそうと取り組むこともアートとして認知される現代。
私は早速、毛利先生が話してくれた松本哉さんが高円寺で取り組んできた行動の軌跡を観るため横浜トリエンナーレに行きました。色鮮やかな服装、店舗に掲げられたスローガン、音楽、映像、多様な表現の集合体が人々をどのように動かし、コミュニティにどのようなものを創造したのだろうか。毛利先生のお話を思い出しつつトリエンナーレを巡り、作品性という価値にとどまらず、芸術は参加できる余地をどれだけ多く作れるのかにも焦点があてられる時代となったのだと実感できました。
【プロフィール】
毛利 嘉孝
東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科?音楽学部音楽環境創造科教授/未来創造継承センター長
1963年生まれ。社会学者。文化/メディア研究。京都大学経済学部卒。ロンドン大学ゴールドスミス?カレッジPh.D(. 社会学)、MA (メディア&コミュニケーションズ)修了。九州大学を経て東京藝術大学音楽学部准教授。2016年より同大大学院国際芸術創造研究科教授。
特にポピュラー音楽や現代美術、メディアなど現代文化と都市空間の編成や社会運動をテーマに批評活動を行う。主な著書に『バンクシー:アートテロリスト』、『文化=政治 グローバリゼーション時代の空間叛乱』、『ストリートの思想 転換期としての1990年代』、『はじめてのDiY』、『増補 ポピュラー音楽と資本主義』、共著に『入門 カルチュラル?スタディーズ』、『実践 カルチュラル?スタディーズ』、『現代思想入門 グローバル時代の「思想地図」はこうなっている!』、『ネグリ、日本と向き合う』など。編著に『アフター?テレビジョン?スタディーズ』など。
撮影:新津保建秀